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社会を支えるシダックスの災害支援~能登半島震災まで

●BCP最先端企業シダックス
 2024年元日に発生した能登半島震災において、シダックスは病院・高齢者施設での給食提供を途絶えさせることなく実行し、翌日から震災支援(物資の送付や炊き出しなど)を実行しました。 
 災害支援と事業継続体制が融合して機能するのは、社員の中に<社会課題解決>への意志統一があるからです。いくら机上で災害対策などの「組織図・仕組み」を作っても、非常にはなかなか機能しません。ある時は「型」を破って、人同士のコミュニケーションや、気持ちのつながり、信頼をベースに物事を進める。しかし、全体の活動は破綻しない。
 支援と事業継続のバランス感覚や、ロジスティックの効率的運用などはこうした企業風土から生まれ、活動にスピードと継続力を生みます
 シダックスは主要事業部門がフード、車両運行、自治体アウトソーシングの3つに分かれていますが、日々の実際のビジネス活動の中で、相互の状況を共有しています。
 常に、グループ総合力を背景にビジネスを伸ばす思考回路ができています。ある案件で車両も参加できるのではないか、自治体との連携もありえるのではないか、など、各事業部のアセットを相互活用するビジネス提案が常に動いています。これらの情報はヘッドクオーター(本社機能)に集約され、経営判断が構築され、事業部へのフィードバックが行える体制となっています。事業部内でも同様のクラスターを持っており、個別対応と全社対応が連携します。
 こうした組織なので、一旦突発的災害に遭遇したとしても、即座に各事業部の連携・協力を構築しうるレジリエンスの高いヘッドクオーター機能の発揮が可能になります。日々実際のビジネスの中で鍛えられていることが、災害支援と事業継続活動におけるシダックスの高い優位性となってるのです。

●能登半島震災レポートーー震災発生直後に災害本部活動スタート
 2024年1月1日、能登半島震災が発生。シダックスは被災地域に40を超える店舗・施設の運営を行い、現地には864名の社員が病院・高齢者施設・学校などの給食提供、観光施設の運営などの仕事についていました。
 志太勤一社長を本部長とした災害対策本部が地震発生直後に発足します。被災地社員の安否を確認しつつ、具体的な被災地支援の活動を構築しスタートさせました。
 翌2日には、シダックス大新東ヒューマンサービス(SDH)社長山田智治が現地本部長となり、本人を含む20余名の人員が現地に入ります。シダックスフードサービスの丹野英一を副本部長に、「被災者支援」と「事業継続(BCP)」活動を行える体制を作り、実行したのです。

山田現地本部長は被害の甚大であった珠洲市へ8時間かけ自ら物資を届けた

丹野副本部長は同様に被害の大きかった穴水町の病院・高齢者施設へ7時間かけ自ら物資を届けた
グループとなったオイシックス・ラ・大地の物流とも連携し物資を輸送した

 シダックスフードサービスとシダックスコントラクトフードサービスは道路・水道などライフラインが分断される中、グループの総合力を生かし、各地からの物資の調達・配送、緊急対応を継続して行う体制を作り、病院と高齢者施設の給食を1日として途絶えさせることはありませんでした。これは業界でも稀有のBCP実行力です。

能登町の病院の食器を金沢市へ運び、根岸メディカル事業本部長、岡澤副部長らが洗浄にあたった

 グループの企業力だけで、この活動が成り立ったわけではありません。そこにはシダックスの人々の高い志と、決して折れない強い意志、行動力がありました。
 自らの家屋倒壊などの被害あった現地社員、各地から支援に入った社員が一致団結し、支え合いながらフードサービス事業者としての責務を全うしたのです。現在も復興半ばの地域に寄り添い、食事提供を継続しています。

1月18,19,24,25日に、ガス、水道がストップしている中で豚汁やラーメンなど「温かい食事」の提供イベントを実施

 また自治体との深い信頼関係をベースに被災者支援活動に従事した、自治体サービスの総合アウトソーサーであるシダックス大新東ヒューマンサービス。支援物資の輸送から、被災者への炊き出し活動などを行いました。

道の駅のとじまで行われた「炊き出し」
炊き出しを準備中の様子

●「社会課題解決型企業」としての災害への取り組み
 シダックスが被災支援と事業継続活動の両輪を早期に、確実に、継続して行えるには理由があります。それは「阪神・淡路大震災」と「東日本大震災」という体験を糧に、経営トップの変わらない強い意志「社会課題解決」のもと、それを継承する社員が自発的・自覚的に動く「企業風土」が出来上がっているからです。
「阪神・淡路大震災」当時のトップであり創業者である志太勤自らが震災翌日に現地に入り、業界団体とも連携体制を早期に作り、被災地支援を行いました。トップ自らか弁当の箱詰めを行い運び、それに多くの社員が協力する姿が、現社長である志太勤一に、「社会課題解決型企業」の理念を確固たるものにしたといいます。
「私は、あのときの社員の目の輝きをいまだに忘れられません。人は正しいことを、誇りをもって行動しているときに120%の力を発揮するものだと感じました」(志太勤一・談)
志太勤一社長自身が陣頭指揮をとった「東日本大震災」ではこの時の方法論が十分に生かされました。当日に災害本部を設置し、各担当部長が配置され、全社を挙げた支援が行われました。全国のお客様から集められた物資を大新東のバスで送付。キッチンカーを送り込み、食事の支援。タンクローリーを調達して石油を送り込むことも行いました。
 社員、社外の関係企業とも協力体制を作り、一大支援を行いました。当時、渋谷本社から支援バスが出発するときには、街の人々から多くの声援を受けました。数々の経験を経て、シダックスの災害支援は強力なロジスティックスとともに、社員の心の中に「社会課題解決」の理念が浸透し、組織や地位を超えた人と人として、絶妙のコンビネーションを生み出せるものとなったのです。