SHIDAXのDNA

たった1店舗の食堂から社員4万人の企業へ~進取と挑戦のDNA~

 シダックスグループは今年で創立64周年です。1960(昭和35)年5月11日に、富士食品工業株式会社(現:シダックスコントラクトフードサービス株式会社)として設立されました。創業はその1年前、たった1つの社員食堂からスタートしました。
 時間の経過の中で、人も社会も、企業も変わっていきます。しかし、時代の風雪に耐えた企業には、時代を超えて今に続く企業風土、つまり企業の“人格・人柄”があります。
 今回は創業時エピソードからその一端をご紹介します。

創業期の食事提供業務店舗の1つ、富士フイルム小田原工場店(その後、神奈川工場店に名称変更。現在は閉店)

■1964シダックスの運命を変えた冒険
 今回は1964(昭和39)年~60年前のシダックス~を見てみます。
 今から60年前の1964(昭和39)年は、まさに日本が高度経済成長の時代でした。東海道新幹線の開通、日本初開催の「東京オリンピック(※1)」の開催、海外観光の渡航自由化(観光目的のパスポート)が開始など、現在の日本の起点となっている年といえます。
 シダックスグループにとっても、この年は大きな節目でした。3月に、当時代表取締役社長だった志太勤顧問がアメリカ・シカゴのフードサービス会社 ビッグ・フード社を視察しています。志太顧問は日本で、同社の副社長の講演を聞き、アメリカのフードサービス事業におけるカフェテリア方式の話を聞き、これだ!とヒントを得たのです。
 この視察が、のちのグループの飛躍に大きくつながっていきます。
1ドル360円時代、企業規模も社員数200ほどの企業が行うには大胆な視察。それだけの価値を見出す視座の高さと、先見性、挑戦の精神が、現在のシダックスの礎となってます。
 そのときの様子を紹介したのが、以下の富士食品工業株式会社 社内報『双葉』VOL.7(1964年発行)です。

志太勤社長(当維)が、羽田空港よりビッグ・フード社視察のため渡米する直前をレポートしています。このページの冒頭にも「5月11日は私たちにとって忘れ得ない会社創立の日」と記載しているのが大きなポイントです

 そして、10月開催の東京オリンピックでは、大会組織委員会より指定を受け、国立競技場、秩父宮ラクビー場における大会運営スタッフへの食事提供業務を受託。三輪運搬車で、当時、東京都調布市にあった本社から国立競技場まで連日運搬しました。

上記エピソードで出てきている当時の三輪の運搬車。富士食品工業社のロゴが入っています

 そしてこの年の12月、社名を富士食品工業株式会社から、フジフード株式会社(現:シダックスコントラクトフードサービス株式会社)に変更しました。日本一(富士山)を目指す「フジ」は残しつつ、渡米時のビッグ・フード社視察で、志太勤社長(当時)はフードサービス事業を「一生の仕事」とすべく、自らの仕事をフードサービスに特化するという決意をこめて「フジフード」としたのです。

フジフード本社外観。1967年には、自社運営による産学連携の調理師専門学校も併設しました

■1974日本式カフェテリア方式の発明
 今から50年前の1974(昭和49)年は、日本が第二次ベビーブームの真っ只中にありました。そんな中で、コンビニエンスストアのセブン・イレブンの第1号店オープン(東京都江東区)、読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手の引退(「我が巨人軍は永遠に不滅です!」のスピーチで有名)、超能力者ユリ・ゲラー来日による超能力ブームなどの時代背景でした。
 また、シダックスグループにとって、この年は飛躍の年となっています。前年の1973年にアメリカの大手フードサービス会社・サガ・アドミニストレイティブ社と技術提携を締結し、大規模なカファエテリア方式のノウハウを吸収しました。

 そして1974年4月に、東京・新宿住友ビル内に日本初の超高層ビルカフェテリア方式の社員食堂を開設し、その後のグループの売り上げの急拡大につなげたターニングポイントともなる年です。

1974年当時の新宿住友ビル。現在のように東京都庁なども周りに建ってなく、その巨大さが際立ちます。高層ビルの建設ラッシュもまさにこれからという時期でした

 さらに12月には、本社を東京都調布市から、新宿区の住友ビル内に移転。その後、約21年間にわたりこの住友ビルを本社とし、社員自身もカファエテリア方式を体感しながら、さらなる業容拡大につなげていきました。
 海外の技術をベースとしながら、それを日本市場に見事にアジャストさせたのは、研究開発の成果です。専門の研究所を設置し、数年にわたる研究の結果、アイランド方式など含むシダックスオリジナルの食堂を完成させたのです。現在も日本中で主流となっているこの日本式カフェテリア方式の大ヒットによってシダックスはさらなる成長をとげます。

上記2枚は、高層ビルカフェテリア方式の1号店となった新宿住友ビル店の様子です。サガ社の技術を日本流にアレンジし、大成功。ここを拠点に。大きな受託獲得につながりました

 時代と共にさまざまな紆余曲折がありながらも、昔も今も、多くのグループ社員の奮闘があり、祖業のフードサービス事業を継続しながら、車両運行サービス事業、社会サービス事業を加え、総合サービス企業へと変貌。そして今年2024年、オイシックス・ラ・大地とグループ企業を形成し、今日に至っているのです。
 進取と挑戦、そして緻密な研究開発重視のDNAは、これからもシダックスグループ発展の基礎となるでしょう。

※1……沿革・史実上の表記として「オリンピック」を使用しています

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